「老学生」

「老学生」


理学部数学科(昭和29年卒業)
八塚 進


私が愛媛大学に入ったのは開校まもない昭和二十五年であった。時に歳三十七歳、学生としては全くのお年寄りの部類だ。周囲の友達は今更、校長辞令を返上してまで学生になることはあるまいとあきれていた。

しかし私を勉学に踏み切らせたのは戦後、敗戦によって打ちひしがれた混乱の中にあって、日本の未来を信じ、その復興を夢みて勉学に励む一部の真摯な学生の姿に感動したからである。日本では当時十年遅れといわれていた近代統計学を学ぼうと志して入学したわけである。

在学中、最も印象に残ったのは当時、県の能率研究所の所長をせられていた富久泰明先生の講義「線形計画」は斬新で興味深く感動的であった。早速チャーネスの原書を取寄せて翻訳し、ガリバン印刷で製本し、皆に見てもらった。中でもかねてから私淑し、指導を受けていた東大の宮沢光一先生(決定論の権威)は大変喜ばれ、翻訳権を取るよう、交渉して下さった。が、一足違いで先約があり、残念ながら出版を中止せざるを得なかった。

その頃、私は教育評価の基準として学習効果曲線を考えていた。宮沢先生の御指導を受けながら、マルコフチェーンを応用するより、ハワードのダイナミックス法及びz変換を利用する方法がよいことに気づいたが、具体的な問題処理でzの固有方程式の高次方程式が解けないで行詰まり、そのうちに先生も故人となられ、研究を放棄せざるを得なかった。

十年程前、ふとしたことで関孝和が大円に内接する中円一個、小円二個の問題を解くにあたって六次方程式を立てて解いたという記事をみて驚き調べてみると、結局ホーナの方法であった。しかもホーナより、相当早かったと言われる。和算には剰一術(バシェの定理)を利用して奇抜な問題を解いたり、近代暗号の基礎をなすオイレルの定理をオイレルに先がけて発見した久留島義太がいたりする。和算のすぐれた業跡に興味と刺激を受けて昨年「すばらしい和算の叡知」を出版して同好の士に見てもらった。

佐藤一斎の詩に

少而学則壮而有為
壮而学則老而不衰
老而学則死而不朽

とあるが、今九十一歳老いても元気一杯日々好日として楽しめるのも一斎のいう「学」のおかげかと感謝しているのが、現在の心境である。