Natura non facit Saltum (自然は飛躍しない)━大植先生と生物教室の思いで━

Natura non facit Saltum (自然は飛躍しない)
━大植先生と生物教室の思いで━


元会社員(中外製薬)
現医技専 非常勤講師
文理学部生物6回(昭和33年)卒業
大谷 武彦

私の書斎机の上には,恩師大植登志夫先生から送られた磯辺焼の皿が置いてあり,そこには標記のフレーズが書かれている。"たまには机に向かうように"といつも先生が呼びかけて下さっているようだ。実は,"Natura non ?"の言葉は語学コンプレックスも手伝って,在学中は勿論の事,最近まで本当の意味が分からなかった。テッキリ,先生ご自身のお言葉であろうと思って恐る恐る同窓の友人に聞いて見たりもしたが,色良い返事が返って来なかった。後日,先生の私信が公開され,"自然は飛躍しない"という意味であることが分かった。

語源の由来は,ダーウィンが進化論に関係して,スペンサーの「第一原理」を引用した有名な言葉だそうである。大植先生は血色素(Hb)の進化について,「Hbが血液全体に溶けているミミズの仲間から,赤血球にHbが封入されて,血漿成分が無色になっているヒトなど,高等動物の血液に至るまでは絶対に中間的進化の過程がある筈だと考えられ,多毛類の一種トラビシアから,その中間的段階として血漿,血球にもHbが入っていることを発見され,"自然は飛躍しない"を実証された」と教室の越智先生から伺い知った。

「バスコントロールをしても,生みの苦しみを味わえば子供は可愛い」と生物専攻学生の何人かを教室に受け入れて下さり,夜のコンパでは"恋は優しい,野辺の花よ?"と浪々と歌い上げられるお姿が就職難・不況時代を反映していても穏やかな教室の思い出として懐かしい。私は昭和31年から3年間生物教室に在籍させて頂いた。生物学専攻の3年間は動・植物学の基礎はもとより,生態学,生化学,地史古生物学など周辺学問を重点的に教わったことが,卒後随分,役にたったと記憶している。特に第植先生の講義はご専門の形態・生理学以上に文学論議や哲学めいたお話しにも,人気があり,学生の人生に各々,インパクトを与えたものと思われる。私も指導教授として,ヒトのはいから分離したアスベルギルス菌の病原性を実験動物で実証するように」と卒論のテーマをもらい,随分,越智先生のご指導を仰いだが,カビの感染論が面白く,後に獣医病理学への道を与えて頂く契機となった事も幸いであった。

教室の主任教授である先生は日頃から,学生には幅広く知識を持つようにと心がけられ,内外の一流講師を集中講義に積極的に招聘され,我々も多いに研鑚をつんだ。

在学中の時間は短かったにも拘わらず,地域の学術活動にも参加させて頂いた事も感謝している。私は山岳部にも属していたことから,石鎚山の総合学術調査や,今西錦司博士一行に同行し,厳冬期の石鎚完全縦走(S32年12月)を行った。凍てつく山小屋で今西先生の進化論を聞いたのも興味深い。また,愛大の誇る山内浩教授率いる日本ケービングクラブと京大吉井良三先生の日本地下水洞窟研究会の四国カルスト合同調査(S33年3月)にも参加し,新洞窟の発見などもあったり,大いに暗黒の生態学を学んだ。将に"我が青春に憂いなし"の良い時期を過ごさせて頂いた。

平成9年秋10月には当時,大植先生や宮本先生など諸先生の薫陶をうけた生物教室や山岳部のOBがヒマラヤのランタン谷に集い,エコ・トレッキングを行った。そして,確実に飛躍していないヒトと共存する大自然を満喫して,良き時代の我が生物学教室を懐かしく偲びつつも益々の発展を祈念した。


第6回生物学教室卒業論文発表会を終えた教室員と先輩一同(1958年3月7日)