長谷川研究室の思い出

長谷川研究室の思い出


1990 理学部物理学科卒業
1992 理学研究科物理学専攻修了
野田 英生


今回,何の前触れもなく長谷川先生から突然原稿依頼を戴き正直驚きを隠せ ません。原稿提出期限迄殆ど時間もなく,思いつくまま書きましたので乱文乱 筆をお許し下さい。

私が卒業してから10年以上経過しており,月日の経つ早さを知らされました。 当時の長谷川先生担当講義に"物理数学" と言うのがありました。最初の講義で 物理学教室の教官紹介をしていただき,その中で,"先生だけが工学部出身 (工学博士)なんだ"と言うコンプレックスを感じている一言がありました。先生って どんな教官なのか?と気になりましたが,それは先生をよく知る皆様の思っている 事と同じです。講義は分かり易く,どことなくユーモアがあり,またハートがあります。 他に"物理光学"と言う講義がありました。よく話が脱線し,講義の7割脱線話に なった事があるのが最も印象的でした。先生の恋愛話が延々続き最後の一言で, "それが今のかみさん.." と聞いたときのオチは忘れられません(詳細は先生から聞いて下さい)。

そんな先生の人間性に惹かれた私は,4回生の春無事(?)に先生の研究室に入 ることができました。当時の長谷川先生は,就職担当や学科主任,また教養部 へ講義に行く日々が続いており,研究室では夏休み前迄大学院生の先輩からゼ ミをみっちり教わる毎日でした。(ところで長谷川研究室の皆様は,私の名前を 聞くと,"あの分厚い教科書を書いた方?" って思うでしょうがそうです,その 私です。当時ゼミを受けていた時分,大学院の先輩から,"ゼミの教科書まとま ってないから,お前まとめて作ってよ" の一言で作ったのでした。間違いも結 構ありますが,未だに使われている事を風の便りで聞いて少し喜びを感じます。 ありがとうございます。) そんな中でも,長谷川第二理論の"回折積分"だけは, 忙しい合間を縫って講義して戴いた事は未だに記憶に残っています。

無論,卒業論文もテーマは下さっても指導者は,大学院の先輩でした。ある 意味大学院生全盛の時代ではなかったでしょうか (私が修士2回生のとき,6人 もいました),大学院生に任せてやっていける,先生と大学院生筆頭に生徒間 との信頼があるからできたのだと思います。私が修士の時に始めた学部生の卒 業論文発表会は,今振り返ると私たち修士の指導に対する評価会だったように 思います。

そんな当時の長谷川研究室は,信頼と言う言葉の中で アット・ホーム な雰囲 気がとても強かったと思います。研究室でよく飲み会や鍋を囲んだり,カレー パーティもした記憶もあります。夕方が来たら,何人かでスケートに行ったり, テニスをしたり,ドライブがてら食い放題の店へ食事に行ったりと,また卒論 時期になると,夕方から出てくるのがいたりと,結構メチャクチャですが,そ れも信頼と言う言葉の中先生の大きな心で包んでいてくれたからだと思います。

後輩のみなさまへ激励!!: 最初に少し書きましたが,今の社会, 出身大学/専攻主義は最早時代遅れです。 実力主義の時代が刻々と来ています。自分は一体何ができるのか?とよく 自問自答,あるいは人から聞かれる事があるでしょう。それが答えられるよう になって下さい。私自身,大学で学んだ事で就職して役に立っている事は,恥 ずかしながら正直殆どありません。しかし,長谷川研究室で学んだことだけは, 絶対に役に立っています。水晶振動子の動作原理(LSI動作で水晶は必須です)と 当時どこの研究室よりも投資して下さったコンピュータ,この動作と操作習得 です。ソフトウェア/ハードウェア等業種に関わらず,操作と知識は必要です。 しかしそんな事は,自分で勉強すればなんとかなる事です。

一番大事な事があります。それは「信頼」です。たとえ幾ら頭が良くても, また仕事ができても,「信頼」がなければそれは社会からは認められません。 これだけは,幾ら机の前に向かっても得られるものではありません。また,お 金で得ることができるものではなく,自分一人で得られるものでもないことを 忘れてはいけません。

信頼されるためには,まず人の話をしっかり聞く/聞いてあげる事から始めて みて下さい。理系の方は論理的で自己主張の強い方が多いと思いますが,この 姿勢から始めていくと自分自身がやるべき事や振り返る点も自然に見えてくる と思います。

まだまだ大変な就職氷河期ですが,皆様一人一人持ち前のパワーで頑張って 下さい。ご縁があれば就職のお世話もさせて戴きます。