平成29年秋の叙勲(瑞宝双光章)に思うこと

ホームページへの原稿依頼がありましたので、久し振りに重い筆を執りました。

平成291110日、経済産業省行政事務功労として国から素敵なプレゼントを頂きました。ホテルでの叙勲伝達後、皇居に移動し「豊明殿」にて拝謁。凛としたお言葉の後、陛下は受章者と配偶者の間をゆっくり、顔を合わせながら歩いて行かれ、歩き方にも気品があり、オーラがでているようでありました。

顧みますと2年間の民間企業を経て昭和46年に通産省名古屋通商産業局に入り、平成15年中部経済産業局資源エネルギー部次長で退職するまで33年間名古屋で役人生活を送りました。その間第一次石油危機、イラン政変による第二次石油ショック、湾岸戦争等々があり、それらの関連業務の対応に夜遅くまで残って居たことを思い出します。しかしながら、叙勲基準が公表されておりませんので、私なりに功績調書を都合よく過大評価し勝手に改ざん作成しました。昭和48・49年第一次石油ショック時に全く関係無い課に在籍しながら応

援部隊として奮闘。昭和54年イラン政変時通商課で陶磁器等イランへの輸出許可業務を担当し深夜までの対応が長期間続く。昭和63年課長補佐時代、ニューオフイス展示会開催に奔走。エネルギー対策課長として省エネルギーの推進、ニューエネルギーの普及でテレビ出演。中小企業課長時にはベンチャー企業出会いの場としてのベンチャープラザを東京以外最初に名古屋で開催、富山でも開催、バブル崩壊後金融機関の貸し渋りに対して中小企業支援でテレビ取材受けるも何故か放映されず。産業技術課長時代は、第三者を含めた審査会を経て産業技術開発補助金を交付し、地域中小企業支援に貢献。資源エネルギー課長時には、庶務課長として部内10課を取りまとめ、中間管理職の評価を得る。資源エネルギー部次長になるも、上司から「そろそろ後輩に道を譲って頂きたい」と拒否し難いお言葉を賜り57歳で退官することになりました。その間、幾度か本省へ異動もやんわり断り、また、中央程多くはありませんが地方にも少なからず政治的関与、上からの圧力等有りましたが丁寧に対応しつつも忖度することなく法律、規則、基準に沿った行政事務を全うしました。以上のような33年間の経済産業行政により受章したと推察する次第です。

昭和44年3月卒業して以来約50年、半世紀が経ちましたが、何故か構造化学、化学とは無縁な仕事に長年従事したことを顧みますと「自分自身の人生のなかの大学と何か、何だったのか」と不可思議に思っております。

 終わりに、「構造化学」の皆様が益々、末永く御活躍されんことを名古屋の地から祈念いたしております。乱文、オチノない文章で失礼しました。