「キャンパスの樹木」

田嶋邦彦

理学部化学科 10期生

大学院修士課程化学専攻 4期生

京都工芸繊維大学大学院 教授

専門 構造化学

 

 一昨年の秋、キャンパスの大木を見上げていた数人の初老の男性が口々に、「これは、あの木か?」、「こんなに大きくなったのか!」、「卒業から40年以上やからな」。この何気ない会話を聞きながら、母校のキャンパスで見覚えのある某かの「目印」を探すのは卒業生の習性だなと妙に共感しました。私が愛媛大学理学部から現在の勤務先である京都工芸繊維大学に移って約20年が経過しました。この間にキャンパスの景色は様変わりしましたので、久しぶりに大学を訪れた卒業生諸氏はこの大木の他に「目印」を発見できなかったのでしょう。この大木は春の新緑、夏の木洩れ日、冬にはイカルの群れが木の実をついばみ、四季折々に楽しませてくれる私のお気に入りでしたが、残念ながら、この大木も昨春の改築工事で姿を消しました。

 理学部キャンパスの樹木の代表選手といえば、2013年の会誌(第8号)の表紙を飾る「椰子の木」(正確な名前は分かりません)でしょう。私が化学科助手の時代に撮影した卒業式(いまでは学位授与式)のスナップ写真の背景には、かなりの頻度で「椰子の木」が収められていました。当時からこの「椰子の木」は理学部キャンパスの重要な「目印」であったようです。私が学生の頃、「椰子の木」の葉先は飛び上がれば手が届く程度の高さしかなく、私達は「椰子の木」の植え込みでバーベキューや餅つき(今では考えられませんね)を楽しみました。この表紙の「椰子の木」を眺めていると不思議に様々な妄想が浮かび上がってきます。まず、この「椰子の木」は3階建ての講義棟を上回る大木として撮影されているので、見違えるほどに大きく成長した「椰子の木」を納めたいという撮影者の意図が窺えます。さらに、この撮影者は小さかった頃の「椰子の木」を知っている卒業生、おそらくは、文理から理学部への移行期の卒業生ではないかという勝手な推理が続きます。妄想はほどほどにして、理学部キャンパスの「椰子の木」を話題にした寄稿文は皆無と信じて、このまま筆を進めます。

 私は少なくとも毎年一度は理学部にお邪魔をしています。数年前には藤棚やベンチが整備されて変貌を遂げた理学部キャンパスには大変驚きました。そして、「椰子の木」が改修後のキャンパスでも素晴らしい存在感を醸し出していることに安堵しました。後日、在阪の同窓生に理学部のキャンパスが変貌した旨を話すと、「椰子の木は何本やった?」、「玄関前の円形の植え込みはどうなった?(無くなりました)」、「講義棟との渡り廊下はあるのか?(もちろんあります)」等々、理学部キャンパスの「目印」が次々と登場します。現在の理学部キャンパスの写真を見ようと、校友会のHPに公開されている四季のフォトギャラリーを訪問しました。ここにはメインキャンパスの図書館と学生会館周辺の紅葉した並木の写真などが多数紹介されています。理学部キャンパスの写真には、青空に映える4本の「椰子の木」が写っていました。やはり、南国風の「椰子の木」には青空が似合うなどと独り合点していると、玄関前に造成された新しい植え込み(私が知らないだけです)に気づきました。この植え込みは、その配置と形状からしてキャンパスの新しい「目印」になることは確実で、3月の学位授与式に多数の卒業生諸君がこの植え込みを背景にしてスナップ写真を撮影する様子が目に浮かびます。そして、数十年後に大きく成長した植え込みの樹木を見上げると「こんなに大きくなったのか!」の台詞が口を衝き、たまには理学部キャンパスに足を運ぶのも悪くないなと、少しほっこりとした心持ちになることでしょう。このように、大きく成長したキャンパスの樹木は卒業生の記憶を刺激するようです。

 キャンパスの樹木を毎日のように目にしている人々とって、それは四季の変化を教えてくれる背景のような存在ですから、たとえば、20年間でどれほど成長したかと問われたとしても「背景が変わらない程度」としか答えられないでしょう。しかし、久しぶりにキャンパスを訪れた卒業生にとって突然に大きく成長したかのように見えるキャンパスの樹木は、年月の経過をやんわりと知らせてくれる趣深い「目印」としての意味を持つようです。いずれにしても、理学部キャンパスの樹木の維持・管理にご尽力を頂いた皆様のご努力と高い見識に敬意を表します。これからも、理学部キャンパスの樹木が健やかに成長することを心底から祈念して、この拙稿を閉じることにします。