40年前の愛媛大学

40年前の愛媛大学


昭和45年数学卒業(文理18回)

森 茂之

森茂之と申します。文理学部理学科[数学]第18回(昭和45年)卒業生です。本年が「卒業40周年」に当たることから、初めての同窓会を計画しました。ひたすら前だけを見て進んで来ましたが、後ろを振り返る心境になりましたのは、やはり黄昏世代となった証でしょうか。昨年から準備に入り、この6月19、20日に10名が、大学に再会することができました。
そこで、「40年前の愛媛大学」の様子を思い返してみました。

【市内電車】やはり松山は市内電車です。電車の外観、内装、また運転系統、運転間隔も当時のままのような気がしました。ただ、「愛大前」の電停名は、「日赤前」に変わっていました。

【正門】さあ40年振りの構内です。右手に「図書館」、左手に「法文館」、外観は耐震工事のせいか少し変わっていましたが、他は当時のままです。両館の間の、よく寝ころんで過ごした広い「芝生」は、植樹されベンチが置かれていました。

【講堂】図書館の東の講堂。綺麗にリフォームされていましたが、当時でも相当古かったのでよく残ったものです。体育実習でテニスやサッカー等の人気種目からあぶれ、「ダンス」を選択せざるを得なかった諸兄も多かったことでしょう。その実習がこの講堂で行われました。ダンスといっても踊るのではなく、ただひたすら先生の太鼓に合わせ、ステップを踏むもので、特に男子は忸怩たる思いでいっぱいでした。

【教養講義棟】図書館の北。耐震工事はあるものの当時のままでした。大講義室もそのままです。

【学生食堂】教養講義棟の東。建物は残っていましたがショップになっていました。別の場所に立派な大学会館が建ち、学食も移ったようです。

【自然科学館】図書館の西。いよいよ理学科の在った建物です。社会科学系に対し、そう呼ばれていました。現在は、リフォームされ「愛媛大学ミュージアム」として使用されておりました。大学の学術研究の成果を保存、展示する博物館だそうで、併せて大学の歴史も展示されています。エントランスでは、旧制松山高等学校講堂「章光堂」の模型が迎えてくれました。この講堂は私どもの入学式が行われた「持田講堂」のことです。中の案内は、学生スタッフによるガイドツアーで懇切丁寧にご説明頂きました。さらに、本来は入れない昔の数学教室のあった場所にも、厚かましくお願いして入れて頂き、大感激でした。

【キャンパス】全体として、施設、芝生、道路と整然と区割りされた様は、40年前に完成されていたのでしょうか、少しも変わっておりません。

当時、御幸寮生の間で運転免許の取得が流行し、自動車学校の費用はとても捻出できないので、この構内を教習所の実習コースに見立て、免許を取った人がレンタカーで次の人へ教え、順送りに免許を取ったことも思い出されます。最も残念だったのは、あの広大なグラウンドが無くなっていたことです。400mトラックを備えた陸連公認施設(記録が出れば公認される。)だったのですが。テニスコート、体育館、プールは昔のままでした。もっと続けたいのですが、懐古は尽きません。

最後になりましたが、同窓会の開催に際し、理学同窓会ご担当の高田先生には大変お世話になりました。改めてお礼申し上げます。