思い出と近況

思い出と近況


昭和43年生物卒業(文理16回)

遠山 鴻



昭和39年秋に東京でオリンピックが開催されました。四十余年が過ぎ記憶も薄れてきましたが、女子バレーボールで東洋の魔女と称された日本チームが優勝したのを思い出します。この年に、私は対岸の呉から新造の双胴船フェリー“シーパレス”で瀬戸内海を渡って愛媛大学文理学部理学科に入学しました。この時は、私は人生の大半を愛媛大学で過ごすようになるとは夢にも思っていませんでした。入学式は現在は付属中学になっている持田地区の旧制松山高等学校時代からある講堂で行なわれました。当時は一般教養の講義の半分は持田地区で、半分は城北地区(現在の文京町)でありましたが、1年後からは城北地区に統合されました。理学科の学生は2年後期から数学・物理・化学・生物のいずれかの専攻に分かれますが、私は生物学専攻に進みました。生物学専攻の同級生は9名でした。専門課程の2年半は自然科学教室と呼ばれていた建物(現在の共通教育本館)で過ごしました。生物分野の特徴として、野外実習で島根県の隠岐島や八甲田山の東北大学高山植物実験所、臨海実習で高知大学の宇佐臨海実験所で合宿しての実習を思い出します。また、当時はワトソン等によってDNAの2重ラセン構造が解明され分子遺伝学の幕開けの時代でもありました。卒論研究では銅耐性酵母株のリボソームタンパク質について調べ、卒業しました。以後40年間、酵母菌と重金属の問題に関わることになりました。

昭和47年に新生理学部の生理学研究室に助手として採用されました。当時は大学紛争の残り火が多少ありましたが、研究室は現在の理学部本館に移っておりました。以来、昨年3月に退職するまで35年間理学部にお世話になりました。この間には同窓生であると同時に教員として理学部に向き合いましたが、これらについては別の機会に譲りたいと思います。
文理学部の卒業生を中心に生物同窓生の会が二年毎に開かれています。これは稲荷公一氏,行天淳一氏のお世話で始められた生物同窓生の集まりですが、私の同期生もこの会に参加し、旧交を温めています。皆さん還暦を過ぎ、ほとんどの人が第二の人生を歩んでいる人です。シニア海外協力隊として活躍する人、ホタルの飼育に取り組む人、郷里に帰って幼稚園を経営する人、夫婦で豪華客船で世界一周の旅をした人等です。

私も昨年退職して1年が過ぎました。週二日非常勤講師として講義に行くほか、理学同窓会のお世話を事務局幹事の高田裕美先生と一緒に行なっています。それに家の近くに約50坪の休耕田を借りて家庭菜園を楽しんいます。昨年は出来はともかくとして、種類は約30種のさまざまな野菜を収穫しました。しかし、畑仕事は思いの外大変で草取りに追われています。また、退職して妻と旅行に出かける機会も多くなりました。30年前から少しずつ行っていた四国八十八ヶ所のお寺めぐりも遂に完結させました。

今年は秋に理学同窓会の総会が開かれますので、皆さんにお会いできるのを楽しみにしています。


2008年4月21日登録