愛媛大学を去るに当たって

愛媛大学を去るに当たって

長岡 伸一


2022年2月登録
 令和3年3月に大過なく定年退職を迎えることができました。これもひとえに在任中にお世話になった学部長をはじめ教員の皆様、職員の皆様、学生大学院生諸君、同窓会の皆様のおかげと心より御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
私は、京都大学理学研究科を修了後、北海道大学応用電気研究所(現在は電子科学研究所)、岡崎国立研究機構(現在は自然科学研究機構)分子科学研究所を経て平成元年10月16日に愛媛大学理学部に転任して参りました。前任地の事務職員からは、転任日が中途半端な16日なので転任翌日の17日には月給が支給されず、11月17日に合算されて支給されるであろうと言われて転任して参りましたが、意外にも10月17日にきちんと給与が全額支給され、愛媛大学の事務組織がしっかり機能していることを思い知らされました。それ以来、退職に至るまで理学部職員の皆様にがっかりさせられたことはありません。誠にありがたいことでした。
理学部では、それまでに行ってきた化学反応の電子状態依存性の研究である励起状態での分子内プロトン移動反応や内殻励起によって分子内の特定の原子付近だけで起こる反応の研究に加えて、抗酸化反応の研究をさせていただきました。特定領域や重点領域の科研費が採択されて学生院生諸君とともに愛知県岡崎、茨城県つくば、兵庫県佐用のような日本のみならず、日米科学技術協力事業で米国にまで飛び回りましたので、留守中には他の教員の皆様には大変ご迷惑をお掛けしたと思います。誠に申し訳ありませんでした。いずれの研究でも、学生院生諸君は愛媛県唯一の国立大学の学生院生として、想定外のプライドを持って卒業研究や大学院の研究に取り組んでくれました。その成果は二百数十報の原著論文にまとめましたが、まだ報告できていない研究もあり、退職後もしばらくは論文のとりまとめを進めてまいります。
教育では、量子化学や構造化学の授業などを担当し、特にPCを用いた分子軌道法の演習という新しい教育手法に取り組みました。その成果は、アメリカ化学会の教育専門誌などに掲載されております。量子化学を充分理解することは数学が得意でない学生院生には難しいですが、単に講義を聴いて紙と鉛筆で演習をするだけではなく、普及しているマイクロソフト・エクセルを利用してデジタル的に「手を動かす」ことによって理解を促進しようと考え、このような実習を開発しました。原子分子の世界はとびとびなのに、さらに世間はとっくに連続なアナログからとびとびのデジタルに変化したのに、量子化学の教育が今もって連続を前提とした微分積分によって記述されるシュレーディンガー方程式に基づいているのは残念の限りであり、私の在職中にできるだけデジタルの世界に近づけるように教育手法を改良することを志してきましたが、数理統計や確率を用いた量子化学の教育手法を確立するまでに至らず中途にて退職することになりました。
社会貢献や運営では、日本化学会速報誌編集委員、分子構造総合討論会(現在、分子科学会)開催事務局、ビタミンE研究会開催代表世話人、環境機能科学専攻長などを拝命しましたが、力不足で余りお役に立てずに多くの先生方に負担が掛かったことをお詫び申し上げます。
北海道大学に初めて就職してからも、愛媛大学においても、様々な別の大学にお招きをいただきながら最終選考では不採用を繰り返していたにもかかわらず、愛媛大学理学部にお招きいただいてそのままずっと拾ったままでいただいたことに心より感謝いたしております。前任地から転任の折には、王昌齢の「洛陽の親友もし相問わば一片の氷心玉壺にあり」と唐詩選を引用しました(分子研レターズNo.23)。愛媛大学を去るに当たってどのような言葉を残したら良いのか迷っています。学生時代から「田舎の勉強よりも都の昼寝」と言われて教育されてきましたので、社会資本のより充実と大学環境のさらなる整備は期待したいところです。時代が変わっても大学教員に最後に残るのは研究成果でしょう。私は理学部研究奨励賞などいくつかの賞をいただいたとはいえ、会心の研究成果が乏しかったことは実力不足でお詫びする以外にありません。しかし、転任以来毎年友人たちが「松山詣で」と称してじっくりと研究を語り合うために訪ねてくれ、多くの論文にまとめられたのは良い思い出です。
最後に、多くの方々に支えられて退職を迎えることができたことに心より感謝を申し上げるとともにご迷惑をお掛けしたことをお詫び申し上げ、さらに黙々と尽くしてくれる妻にありがとうと言って愛媛大学を去るに当たっての言葉とさせていただきます。末筆になりましたが、愛媛大学理学部のさらなる発展と皆様のご活躍を念じております。ありがとうございました。