コロナ禍中で退職を迎えて

コロナ禍中で退職を迎えて

地球深部ダイナミクス研究センター 入舩徹男


2022年2月登録
 平成元年4月に愛媛大学に赴任し31年。この3月末にはとりあえず無事に退職を迎えるはずでした。ところが我が国においても猛威を振るいだした新型コロナウイルス(以下コロナ)のおかげで、卒業式をはじめ様々なイベントがキャンセルとなり、気持ちの切り替えができぬままその日を迎えてしまいました。せめてもの慰めは、退職に際して関係者が「業績集」とは名ばかりの、立派な文集をつくってくれたことです。主に卒業生や学会関係者などを中心とした内輪の文集ですが、このような状況の中で何よりの記念となりました。本来はここに書くべき内容も、ほとんどこの文集に尽くされております。祝賀会等での配布機会を失い多数の残部がありますので、ご興味のある方はご請求ください。
退職以降も引き続きセンター長を拝命しましたが、入学式も取りやめになり、授業開始は大幅に延期されました。この間多少時間の余裕もできたので、コロナについて毎日インターネット情報をチェックするとともに、情報源となっている原著論文のいくつかにも目を通しました。この結果、これが知れば知るほど厄介な問題であり、多くの皆さんと同様、先行きの不透明さに大きな不安を感じているのが正直なところです。
コロナ問題は医学・医療の問題にはとどまりません。薬学・化学・生物学はもとより、物理学・数学・工学・経済学・心理学・教育学など、ほとんどありとあらゆる学問分野が関係する、極めて総合的な知識と知恵が必要な問題だと思います。残念ながら私の専門の地球科学はあまり出番がなさそうですが、それでもこの問題に対する科学的な考察は、行動の指針を考える上で重要ではないかと感じています。
例えば人が発する飛沫の飛び方や拡散の仕方は、基礎的な古典力学・統計力学でほぼ理解できますし、感染者の増加の傾向は、数学の基本的な関数や統計処理の知識があれば、日々発表される数値に一喜一憂しなくてもおよその予想がつきます。身近なところでは、マスクの問題があります。通常のマスク繊維の隙間は小さくても5ミクロン程度ですから、0.1ミクロンオーダーのウイルスにとってはザルのようなもの。コロナにおけるマスクの役割は、ウイルスを止めるのではなくウイルスを含む液滴を止めるのが主な役割のはずですが、この点を理解している人が意外と少ないのに驚きます。
我が家でもマスク不足が深刻化し、家内らが毎日マスク作りに励んでくれています。でも数十ミクロンの花粉に対するの同様に、マスクがウイルスもブロックしてくれると思っていたようです。ウイルスとマスクの穴のサイズ感や、ウイルスと飛沫の挙動を理解していないと、せっかくマスクを作っても有効に活用できない可能性があります。また、一定程度の大きさの飛沫をブロックできても、飛沫の水分が蒸発すればウイルスはマスク表面に付着したままでしょう。こうした「乾いたウイルス」は、呼吸により容易に口の中に吸い込まれると考えられますから、(飛沫中のウイルス濃度にもよりますが)こまめに捨てるか洗浄する必要があります。マスコミやインターネットによる情報も、こういった基本的な原理や使い方を、科学的・定量的に示すことは少ないと感じます。
コロナ禍の最中にあって我々退職教員ができることの一つは、それぞれの専門を生かして、この問題を科学的・多面的に考察して、それを一般に向けて発信することではないかと思います。現時点(4月初旬)では、日本においてはコロナによる致死率が比較的低いとされています。それを裏付ける根拠として、マスク文化があるとか、BCGが効いているなど、様々な情報が飛び交っています。もちろんこれらの中には正しいものが含まれる可能性もありますが、その多くは科学的に証明されていない、現象論に基づく希望的解釈にすぎません。我々にできることは、そのような説の根拠や出所をきちんと検証・分析し、その結果をもとに、人々の行動の指針となり得る情報を提供することではないかと思います。
私自身、この半年くらいの間にインフルエンザにかかるとともに、帯状疱疹も経験しました。1か月くらい前までは、「これでコロナにかかればウイルス三冠王」などと冗談を言っていましたが、これらはいずれも免疫力が落ちている証拠。最近の状況を見ていると、明日は我が身と、本気で身辺整理もはじめています。定年後もしばらくは、楽しみながら研究・教育も続けたいと思っていましたが、それも全く見通しがたたなくなりつつあります。
少々暗いご挨拶になってしまいましたが、このような状況の中、今後は自分の専門分野だけでなく、上記のような観点から何らかの社会貢献もできればとの思いを強めています。それなりの覚悟はしつつも、大学人として科学・技術の進歩を信じつつ、この問題の解決に多少なりともお役に立てればと思います。一方で、本稿が印刷になる頃にはコロナ問題が終息に向かい、この挨拶文が笑い話しに終わることを心より期待しています。