時間の単位

時間の単位

平出 耕一


2022年2月登録
 10年ひと昔という表現をだいぶ前に聞いたことがあるが、ネットで調べてみると、5年をひと昔前と感じる人が一番多く、次いで3年で、10年をひと昔前と今でも考えている人の割合は3番目になっている。確かに5年は一つの区切りになりそうで、科研費の申請では、5年は最長の研究期間で、3年はほぼ最短になっている。理学部で以前発行していた「教育・研究のあゆみ」も5年ごとだった。しかし、この5年とか3年とかは、連続的に流れる時間の短い一つの単位だと思う。それに対し長めの時間の一つの単位として10年があるように感じる。このくらいになると物事は随分と変化する。大学に入学してから大学院を経て就職するのに大体10年かかったし、大学院での研究テーマに一つの終止符を打つのに更に10年くらいかかった。更に10年ほど研鑽を積んだが、このくらい経つと、辞書や本に引用されるようになってきて、国内外問わず世の中に知れ渡ってしまう。数学のような辛辣な学問は、頑張ったとしても、そのくらいの年齢で研究を止めるのが普通だと思っていた。今から30年ほど前、筑波大学から異動してきたが当時もそう思っていた。送別会のとき、少し大袈裟に、あと20年頑張りますと宣言した覚えがある。その時はそれほど本気ではなかったけれども、まさか逆に更に10年も追加されるとは夢にも思わなかった。そもそもその頃は、若手という明確な概念がなく、34歳までが少し優遇されていた時代で、科研費の申請も奨励研究というのがあって37才までで、それを過ぎると今でいう基盤研究で申請しないといけなかった。しかも研究期間は1年と定まっていた。ある意味、結構のんびりとした時代だった。その若手の頃、研究集会に参加するための交換条件で、北海道大学であった国立32大学の会議に出たことがある。情報交換の場だったが、メインが東京大学数理科学研究科の設置についての詳しい説明であったが、1人参加だったのでメモを取るのが大変だった。その内容は教室に持ち帰って少しは役に立ったと思うが、その頃から以降、全ての国立大学はものすごく大きく変わっていくことになり、15年くらい経過して、ついに法人化されてしまった。これは、丁度バブル経済の崩壊からリーマンショックの手前までの期間に起きたことで、その後もゆとり教育というのが続いていった。この様な中で、動き変化するのを止めると、倒れて消滅してしまうという仕掛けを組み込まれたような感じである。最近では、GとLによる大学間の差別化、年俸制導入など極まりを見せているが、これから先30年の間に何が起こるかは誰にも予測できないだろう。人工知能との関係でシンギュラリティを唱える人がいるが、それは今から30年後には既に起こっている出来事である。30年を時間の単位としてみると、社会環境はとてつもなく大きく変わったし、今後も変わるだろう。しかし、この30年で見ると、数学に対する研究態度がぶれることはなかった。そして、研究内容はどんどん発展している。研究対象も以前からの力学系の定性的研究を継続しつつ、今は加えて定量的研究も行い発展的に展開している。やはり、数学の研究の辛辣さは常套ではない。とても体力を必要とするし、それを持続しつつ、発展し続けなければならない。これは、数学の普遍性がもたらす必然だと思う。これからも真剣な態度で数学の研究を続けたい。