松山で過ごした日々

松山で過ごした日々

 山本 明彦


2019年5月登録
 赴任以来、13年間を理学部で過ごし、定年を迎えることとなった。退職に伴い挨拶を寄稿する機会をいただいたので自らの歩みを少し振り返ってみたい。入学以降、ドクターまで過ごした名古屋大学で学位を取得した後、運よく前任校の北海道大学に職を得ることができた。といっても国の地震予知計画の一翼を担う部署であったため、座して行う研究だけでなく、野外の地震観測や地殻変動観測が大きな比重を占めた。しかし、私を含めて予知事業に携わる研究者たちが、阪神・淡路大震災を引き起こした1995(平成7)年兵庫県南部地震を予知できなかったことが社会の強烈な批判を呼び、地震予知計画は根底から見直しがはかられることになった。この頃から私は次なるステップを模索し始めた。防災を意識した地震・津波に関連するシミュレーション系の研究にも本腰を入れ始めた。
 そうこうするうちに愛媛大学の地球科学教室に異動することになった。着任したのは2005(平成17)年4月のことであった。ちょうど理学部が3学科から5学科に改組されたタイミングである。北国とは趣の異なる理学部の佇まいを前に、身の引き締まる思いであった。地球科学科で始まった新しい生活はすべてが新鮮だった。それまで『地球物理』という専門の枠からそれほど離れた経験がなかったため、教室の談話会で聴く地質、岩石・鉱物、古生物等の専門的な話には学生時代に戻ったような感覚を味わった。また、教育(野外実習)として野外調査を行うことの難しさをあらためて感じた。在職2年目からは学科長を任されることになった。それ以降、諸般の事情もあって、結局5年間を学科長として過ごした。前任校では学生との付き合いが少なかったため、教室運営の中で学生に関連する事柄には特に気を配った。今風に言えば学生ファーストである。
 5年間の学科長生活の後、定年までの7年間を副学部長として過ごした。定年直前の最後の2年間は評議員を拝命し、大学運営のありようを肌で感じることになった。後から見れば、在籍した13年間のうち12年間は学科・学部の管理運営に携わったことになる。とりわけ後半は、FD(Faculty Development)委員会、入試検討委員会、理学部全体の通信インフラ維持管理などが主なミッションであった。『我々は研究のプロであって教育のプロではない』と某先生に言われたことがあるが、理学部のFDをとりまとめることになった時にはそうも言っていられないと感じた。教育企画室の先生方に相談し、効果が薄いFD行事をとりやめ、実効性のあるものをとりいれた。委員会の統廃合後は理学部・理工学研究科(理学系)の入口(入試)に関するとりまとめ役となった。一言一句に正確性が要求され、実施に際してもミスが許されない入試という性質上、緊張感が途切れないように気を遣った。これに比べると通信インフラの維持管理はやや気楽であった。1990年頃のインターネット黎明期よりサーバ運営の経験があったため、それほど大きな抵抗は感じなかった。余談になるがネット黎明期の前後は、VAX/VMS、NEWS-OS、SunOS などを使いわけていたが、1990年代前半以降は、現在に至るまで、研究や仕事に使うOSはLinuxである(この原稿もLinux+Emacsで書いている)。
 一方、それまで物理探査や地下構造解析が主な研究分野であったが、2011(平成23)年東北地方太平洋沖地震(3.11地震)による未曾有の災害発生以降は、かねてよりすすめていた津波シミュレーションや地震による応力変化といった防災・減災に焦点をあてた研究が中心となった。幸い、ソフトウェアの開発はいわば自家薬籠中であり、 解析に必要な理論を組み合わせてそれを実装する計算ツールをほぼすべて自作した。将来の発生が予想される東南海・南海地震による津波シミュレーションの結果、四国の太平洋沿岸では、3.11地震と同サイズ・同すべり量の断層運動を仮定すると最大で17メートル、さらにすべり量を倍程度にすると30メートルを超える津波が短時間でやってくることがわかった。その後、研究室の学生たちと一緒になって、日本を取り囲むほぼすべての沿岸地域での津波波高想定を求めた。手元に溜まった計算結果を整理する前に定年で時間切れになってしまったので、今後は徒然なるままにまとめてみたいと考えている。また、長い間温めてきた地球物理の教科書執筆のアイディアがなんとか形になり、時間切れになる前に刊行にこぎつけることができたのは幸運だった(この教科書は2014年に朝倉書店より出版された)。
 振り返ってみれば、土地も人も温和な愛媛・松山の懐に飛び込んで過ごした13年間は、あっという間に過ぎ去った一炊の夢であった。これからは気儘に時間を使って研究を継続し、夢の続きを見るつもりである。最後になりましたが、在職中にお世話になった皆様にはこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。皆様の益々のご健勝とご多幸をお祈りするとともに、1学科制となる新しい理学部の発展を心より祈念いたします。