愛媛大学理学部での思い出

愛媛大学理学部での思い出

 林 秀則


2019年5月登録
 昨年3月に無事定年を迎えることができました。在職中にご助言、ご指導くださった諸先生、無理難題に対しても快くご尽力をしてくださった職員の方々、また研究室で生活を共にした卒業生の皆様はじめ、多くの方々に心より感謝申し上げます。
 私は平成7年2月に理学部化学科に赴任し、平成15年からは無細胞生命科学工学研究センター(平成25年からプロテオサイエンスセンターに改組)における研究を本務としつつ、約23年間、理学部化学科の学生の教育を担当してきました。平成の時代の約8割、50周年を迎えた理学部のほぼ半分の期間を過ごしたことになります。この間、大学は大きな変革を求められ、様々な改革が試みられ、いろいろな意味で大きく変貌を遂げたと感じます。敢えて言うなら「教官ファーストから学生ファーストへ」の意識の変化です。組織的には平成16年の国立大学法人の設置であり、これに伴い「教官」は「教員」に変わり、一方で少子化に伴う入学志願者の減少とゆとり教育の相乗効果によって大学生の気質が変わり、これらの変化への対応として業務形態や組織体制の変革を余儀なくされる一方、入学志願者の確保に奔走しなければなりませんでした。このような変動の時代を経ても、著名大学に引けをとらない実績を残してきた本学の活動の一端を担えたことは、ある意味充実した教育研究生活が送れたものと思っています。
 着任前には、学生時代のタンパク質を材料とした生物化学の研究から物理化学講座でラマン散乱や赤外吸収などの振動分光学を利用した研究へ、さらには基礎生物学研究所における植物の遺伝子操作という、一見、脈絡のない研究生活を送ってきました。おそらくそれが幸いして、理学部化学科に新設された研究室において、化学科でありながら生命を扱うという当時の地方大学としては珍しかった使命をいただきました。採用人事に携わられた河野博之先生、小野昇先生の「生命は面白い、これからは生命科学の時代だ」という先見の明のとおり、いまやiPS細胞、癌治療、ゲノム編集などという言葉を日常的に聞くようになりました。赴任の際、河野先生が「生物を扱うのに水は必須でしょ」とおっしゃって、化学系の実験室には珍しい大きな流しが付いた中央実験台のある研究室を用意して下さったのには感激しました。
 私が赴任した平成7年は、ある微生物の全ゲノム配列が解読されたという歴史に残る年でした。しかし、遺伝子を扱った実験はまだまだ普及しておらず、例えばキャピラリ型のDNAオートシーケンサー(自動塩基配列解読装置)を導入したのは私の研究室が愛媛県では最初でした。その後、愛媛大学にも遺伝子実験施設が設置され、同型の装置も導入され、農学部や医学部の多くの先生方が利用されました。研究室がスタートしたときには、化学を学ぶために進学した学生が生物を対象とした研究に興味を持つだろうかという不安はありました。しかし「生命現象は化学反応の積み重ねである」と強調したこと、そして遺伝子操作などの実験は、正しい濃度の溶液を正しい比率で混ぜ合わせるという、極めて化学的な実験であったため、研究室に来た学生はためらうことなく取り組んでくれました。その結果、私自身は実験に取り組む時間が少なかったですが、学生が重金属結合タンパク質や熱ショックタンパク質に関して、また塩ストレス耐性や高温ストレス耐性の遺伝子操作に関して、いつも興味ある実験結果を報告してくれ、何度となく感激したことを思い出します。
 無細胞生命科学工学研究センターでの使命の一つは、遠藤弥重太先生が開発されたタンパク質合成技術の普及の一環として、高校でも使える教材キットを開発することでした。私が赴任した頃、社会的には理科嫌い、理工離れといった風潮が懸念される一方、大学としても理工系学部への志願者確保が必定と考えられたため、社会貢献の一環として学外者対象の実験教室や高大連携授業などに取り組みました。平成14年には文部科学省によるスーパーサイエンスハイスクール事業が始まり、理学部からの運営指導委員の一人として高校の先生方と理科教育について議論を重ねました。大学でも平成17年からスーパーサイエンス特別コースが開設されることになり、多くの先生方と科学者・研究者に必要な素質やその育成プログラムを検討しました。その後もこれらの活動を継続する過程で、前述のタンパク質合成技術を取り入れた学習プログラムを考案し、市民対象の公開講座、高大連携授業、教員対象の研修授業などにおいて、多くの方にコムギ胚芽抽出液を用いたタンパク質合成実験を体験してもらいました。通常の講義室や会議室であっても、容器の中に液体を加え、1~2時間経つと、クラゲの遺伝子から作られたタンパク質が蛍光によって簡単に観察でき、その輝きに会場から感激の声が聞かれることも多々ありました。この実験教材はプロテオサイエンスセンター客員教授の片山豪先生によって改良され、その内容が高校の教科書「生物」の探究活動として掲載される一方で、必要な教材キットが学内発のベンチャー企業から市販もされるようになりました。
 現在、理工学研究科特命教授を拝命し、高校生を対象としたJSTの科学技術人材育成プログラム(グローバルサイエンスキャンパス)の実施をお手伝いさせていただいています。今後も多くの方のご協力をいただき、若い世代に科学の感動を与えることができるよう努力したいと思っていますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます。
 末筆になりましたが、理学部の発展ならびに皆様のご活躍とご健勝を祈念しております。