はるか昔を振り返って

はるか昔を振り返って


 皆川 鉄雄


 私が東雲小学生のころの楽しみの一つに、愛媛大学城北キャンパスの原っぱでの虫とりがありました。キャンパスはかつての練兵場(軍の演習場)跡地に設立されたのですが、昭和30年ごろの大学には今のような施設はほとんどなくキャンパスの北西一帯には草原が広がっており、学校帰りにここに立ち寄る多くの小学生がいました。塾通いする子供もほとんどいなくて、帰り道に立ち寄り、また日曜の長い1日を過ごすこともありました。
当時の男子大学生の多くは今と異なり、学生服の上着(ただし女性の服装の記憶はありません)を着ており、またかなりの学生が大學のマークの入った学生帽を被っていたと記憶しています。御幸中学校(現東中学校)時代は、理学部の前身である文理学部のキャンパスを訪れるのが楽しみでした。木造校舎の1階には後の地球科学科教授になられた地学教室の宮久研究室があったのですが、建物の中には入ったことはありませんでした。昭和43年愛媛大学農学部農芸化学科に入学し、卒論研究は土壌肥料学教室を希望しました。土壌肥料学教室には船引真吾教授、吉永長則助教授、電顕が専門の山口助手がおられました。船引先生は、日本で初めてX線粉末回折法を用いて土壌中の粘土鉱物の同定を行った先生であり、吉永先生はイモゴと呼ばれる火山灰から新しい粘土鉱物「イモゴライト」を発見された火山灰粘土鉱物学の第一人者でした。研究室は九州大学と肩を並べる日本を代表する土壌学研究室として知られていました。当然研究設備も充実しておりXRD(加熱装置付)、IR, TG-DTA, TEM, 化学分析装置など粘土鉱物を研究する上で必要な分析機器が全て揃っていました。
吉永先生の研究指導を受けましたが、いまでも思い出すのが、厳しく指導されたガラス器具の洗浄方法と毎日の実験台の拭き掃除です。洗ったあとガラス器具に水滴が残っていると、駄目だしがありました。また朝、昼、夜と実験台の上を拭くことが日課でした。今では考えられないことですが、当時の実験室の天井はアスベストがむきだしの状態であり、ごくまれに実験台上に落ちてくることがあったのです。卒業後は、2年間の聴講生を経た後、土壌肥料学教室の技官として就職しました。吉永先生の指導のもとイモゴライト研究の他に、フィールドワーク、住友化学との共同研究である稲のポット試験等の多くの雑用をやっていましたが、自由な時間もあり、休みにはテントを担いで日本各地の山を駆け巡っていました。研究時間の合間には好きだった鉱物の検討も吉永先生の許しを得て行っていました。鉱物に関して分からないことがあれば、理学部の宮久研究室にお邪魔して教えを請いました。時には九州の金属鉱床、特に金、銀、錫鉱床の調査に同行させていただいたことも多々あります。串木野鉱山、赤石鉱山、岩戸鉱山、豊栄鉱山などの調査はほんとうに楽しい思い出です。宮久先生の名前を出すとどこの鉱山もフリーパスでした。とんでもない先生だったことをいまさらながら感じています。
ある時、築地書館から「四国地方鉱物採集の旅」の執筆依頼があったのですが、一緒にやりませんかと声をかけて頂きました。二つ返事でお引き受けし、四国の鉱物産地をめぐる日が続きました。出版までに2年ぐらいかかったのですが、その間の夜おそくまでの打ち合わせも楽しい思い出です。
しばらくたって理学部に新しく地球科学科が誕生することが決定し、技官の定員がついたので来ませんかとのお誘いがありました。それまで私自身、鉱物には興味がありましたが、地球科学科の職員になることなどまったく考えていませんでした。おまけに、そのお誘いは街の本屋でばったりお会いした時でした。あの時お会いしなかったら、今は無かったかもしれません。吉永先生に相談したところ研究室としては困るが、君自身は理学部に移ったほうが良いというお言葉を頂き、理学部に移ることを決心しました。地球科学科技官として先生方の薄片作成、X線装置の修理、学生実験の手伝い、フィールド調査や、学会用のスライド作成などの雑用すべてやりました。その後縁あって助手になってからは、桃井斉先生の研究室に所属し、マンガン鉱物の検討を主テーマにし現在に至っています。その間、1年間、北海道大学の針谷研究室にお世話になったのですが、研究そっちのけで北海道の林道を走り回り、鉱物採集に明け暮れていました。また毎週技官の方とお酒を酌み交わしていたことも懐かしい思い出です。

 愛媛大学に入学し愛媛大学で停年を向かえ、今やっと卒業するような気分です。まだまだ老け込む年ではないと思ってはいるのですが、いつまで思えるかあやしいものです。ただこれからも新しい鉱物の発見・研究に少しでも係わることができればと願っています。幸いなことに私の研究室を出た多くの石好きの学生と現在も交流があり、また研究者として活躍されている方もおられます。もう少しは頑張ってみようと思っています。

 吉永長則先生、桃井斉先生、宮久三千年先生、針谷宥先生をはじめ、多くの先生方にはほんとうにお世話になりました。また事務の方々にもたいへんお世話になりました、心から感謝いたします。



2015年6月10日登録