脳天気な極楽オヤジ

脳天気な極楽オヤジ

写真は、納得サイズ(50cm)のグレを手にご満悦の“極楽オヤジ”[「渡船よしだ屋」ホームページ釣果報告(2010.12.17)]より

大六 隆

 先日,理学同窓会から会報第7号の発行に際して「寄稿依頼」という身に余る有り難いお話をいただいた。幼少の頃よりずっと学業については全く熱心でない上に読書することも希なことも手伝って,文章作りが苦手なため,一度は辞退させていただく旨のお返事をしたものの,このような機会は一生に二度とないことに鑑み,恥を忍んで同窓会のご厚意に甘えさせて頂くこととした。

 “脳天気な極楽オヤジ”これが,僕がこの世で最も敬愛する妻の「夫評価」である。夫婦なんだから…もう少し気の利いた評価をもらえないものかとも考えるが,そんなことを言おうものなら,「アンタはいいよネェ〜!お気楽で…」とのお小言を頂戴した後に「男はツマラン!!」と、持ち前の九州訛りで一撃必殺の怒りの鉄拳をお見舞いされることとなる。いずれにしても,世界中の誰よりも長い時間を僕と共に過ごしている「相方」の実体験に基づく偽わらざる評価なのだから,甘んじて受け入れなければなるまい。その実僕は,八幡浜市の山奥の小さな山村で農家の長男として産声を上げて以来,良きにつけ悪しきにつけ…何かに悩み苦しんだという記憶がとんと無い。

 学業の修得が優先されてしかるべき時期の,幼少期から小学,中学,高校,更には大学に至るまでも,あまり好きではなく苦手な勉学に真正面から取り組むことから逃げ,気の合う仲間達とスポーツや遊びを通じて楽しく時を過ごしてきた。特に,高校時代には,当時八幡浜高校陸上競技部の顧問をされていた兵頭寛先生(後に本学教育学部教授,名誉教授)に厳しくご指導いただき,しっかりとした基礎体力を養成していただき,3年生時には1600mリレーのメンバーとしてインターハイにも出場することができた。また,大学時代には,入学早々に体育会合氣道部に入部し,3回生時から主将となったこともあり,勉学そっちのけの学生生活に更に拍車がかかった。そんな僕の大学生活の状況を称して両親曰く,「お前は,体育学部合氣道学科に入学したのか!。」と…。でも,その時の仲間達は,僕の一生の“宝物”であり,それよりも何よりも…生涯の伴侶と出会ったのもまた部活動を通じてであった。

 幸いなことに,このようなスポーツや遊びに興ずる“お気楽生活”は,大学職員となってからも続けることができており,我が家に帰り着くなりユニフォームに着替えてグローブを片手に慌ただしくナイターの試合(3チームに所属しているため,シーズン中はほぼ連日)に出かけようとする僕の目をじっと見つめて,可愛い孫娘から「ネェ・ジイジ,ジイジの本当のお仕事はヤキューなの…?!」と、問われる始末。(孫娘の後で,妻と娘がザマ〜ミロ!と言わんばかりにニヤリ…)

 1951年2月生まれのため,会報が発行される頃には既に還暦を過ぎているはずの僕は,「この歳」になってもまだ,やがて訪れる「死」に至るまでに成し遂げたり継続していたい“夢”や“目標”が一杯ある。

  ・60cmオーバーのグレを釣り上げること
  ・70歳になるまで少なくとも1年に1本はフルマラソンを完走すること
  ・70歳になるまで東温市代表のソフトボールチームの一員としてプレーし続けること
  ・四国八十八カ所の歩き遍路を成就すること
  ・田舎で一人気丈に暮らし続けている母にそっと寄り添い,優しく見守ること

 そして何よりも…永年に亘りこんな“脳天気な極楽オヤジ”を温かく支え続けてくれた妻と共に仲良く平穏で心豊かに悠々と時を過ごすこと・・・これらの“夢”や“目標”を実現するため,これからも両親から授けてもらった有り難くも丈夫な我が身のメンテナンスを怠ることなく,一日々を大切にして,“明るく”“楽しく”そして“いさぎよく”生き抜いていきたいと考えている。

末筆ながら,これまで出会いお世話になった皆様方に改めて御礼を申し上げると共に,皆様方の今後益々のご健勝とご活躍,理学同窓会の更なるご発展を心よりお祈り申し上げます。 

合  掌




2011年3月17日登録