計算尺からパソコンへ

計算尺からパソコンへ


東 長雄

 昭和41年、私は愛媛大学文理学部理学科に入学しました。鉄鋼メーカに5年近く勤めた後の入学でしたので、角帽を購入するなど、当時の大学生のトレンドからワン-テンポ遅れていた記憶があります。学部卒業後の大学院生活では愛媛大学を離れましたが、博士課程修了と同時に旧教養部に赴任し、以来愛媛大学を離れることなく、34年間教員を続けさて頂き、来る3月末で定年退職となります。その間にお世話になった方々にまず御礼を申し上げ、ご迷惑をお掛けした方々に心からお詫びを申し上げます。

 学部での想い出の持ち物に計算尺があります。化学計算用と使用目的は限られていました。有効桁数に不足はないものの、位取りは暗算で行わねばならず、その点では不便でした。しかし、お陰で概算練習を毎回していたことになります。

 大学院に進学して紙テープ入力式、その後、紙カード入力式の電子計算機及び電卓の使用により位取りが不要となり、概算が下手になったと思います。パソコンに至っては、計算よりも文書作成に多く使うようになり、楽ができました。しかし、読めても漢字を書けない、送り仮名を多く間違う、入力に慎重さを欠くなど、高能率・便利さと引き替えに失ったものも多いと感じています。

 効率と能率は似て非なるものと思います。単純に云えば、効率は仕事量(成果)と投入エネルギー(資材)の比です。効率が悪ければ社会及び自然環境への負荷を大きくします。効率的行動とは、合理的な行動と云えましょう。能率は仕事量と所要時間の比です。ことさらに能率を追求すれば、効率が低下する可能性が大です。有限の寿命しか持たないヒトにとって、効率と能率のバランスこそが肝要であることは云うまでもないことです。

 過度な利益及び利便性の追求とは「効率にではなく能率に重点を起き過ぎる」考え方ではないでしょうか。生存の必須条件である食糧生産すら国際的な分業体制でよしとする考えは、その線上にあると云えないでしょうか。人類の稲作の開闢は小麦とほぼ同時期の6千年昔に遡り、日本での稲作も2〜3千年前に始まったとされます。既に数千回も主要穀物の生産が更新・継続されてきました。日本は資源小国とよく云われますが、その資源とは耐用年数が二百年にも満たない更新性ゼロの地下資源を主として指しています。更新可能な資源である農林水産資源及び(資源といえば語弊がありますが)人的資源をもっともっと大切にする国であって欲しいと願います。

 人的資源育成を目的とする本学で40年近くを過ごせたことは、本当に有り難いことと思います。しかし、効率ではなく能率を追求し過ぎてきた我を思う近頃でもあります。せめて退職後は、効率に重点を置く、むしろスロー-テンポな生活をと想う今日この頃です。

 最後になりましたが、理学同窓会員の皆様方のご健勝を心よりお祈り申し上げます。


2009年1月31日登録