愛媛大学での思い出

愛媛大学での思い出


理学部物理学科
菅谷礼爾


 大学院を修了後、愛媛大学理学部の電磁物理学研究室の助手として松山市に来ました。故野本尚敬教授の放電物理学の研究室で、私の専門のプラズマ物理学と近い分野です。放電物理学の実験装置はありましたが、プラズマ物理学の実験装置は皆無でしたので殆どゼロからの出発でした。幸い核融合の研究に多くの研究予算が配分された時期でしたので、2〜3年で実験装置を作ることが出来て何とか研究を始められました。実験による研究を10年程続けた後、観測された現象を説明する理論を発展させる事が出来、理論的研究に徐々にシフトしてゆき現在に至っています。この当時、名古屋大学のプラズマ研究所(現在の核融合科学研究所)の大型計算機が無料で使用出来たので理論的研究を進展させられました。又、愛媛大学の計算機センター(現在のメディアセンター)を利用させて頂き感謝しております。

 磁化プラズマ中の非線形波動現象の研究で、空芯磁場コイルによる強い磁場中に真空装置を置きその中にプラズマを作って実験を行います。卒業研究や院生の特別研究でのこの実験や計算機による理論研究においてはとても活気があり多くの思い出があります。実験やゼミの終了後、研究室で酒を飲みに行くなど研究以外でも活気があったと思います。 この中の思い出の1つが大山スキー場に行った事です。

 1977年度の卒業研究では5名の卒論生を私と須川先生で指導しプラズマ実験を精力的に行いましたが、それ以外にスキーというスポーツの指導も行いました。休日を利用して、美川スキー場や鳥取県の大山スキー場に民宿宿泊で行きましたが私と須川先生と他研究室の1名の4回生以外全員スキーが始めての経験です。不思議な事に教官による理論指導のお陰で短期間で全員スキーが上達し1名の学生は私よりも上手になったのには驚きました。私のスキーの資格が2級ですので1級のレベルに達した事になります。1級はスキーの指導員になれる資格です。大山のスキー場には私と卒論生が運転する乗用車2台で行き、スキー場の駐車場に乗用車を置いてゲレンデのすぐ近くの斜面にある民宿に宿泊しました。私は先頭の乗用車に後れないように懸命に運転した記憶があります。帰る時に大雪のため乗用車は1m以上の積雪に完全に埋まり、「松山に帰れない」、「明日の授業に間に合わない」とパニック状態になりましたが、全員で除雪を行い何とか出発できる状態にしました。しかし、私の乗用車のバッテリーが低温で使用不能になりエンジンが始動できません。近くのガソリンスタンドで新品のバッテリーに取替えてやっと出発に至りました。大山から米子市に向かって出発したとたんに、タイヤにチェインを取付けてられているにもかかわらず今度は乗用車のスリップが起こり、私が先頭で運転する事になりました。私は雪国生まれなので雪道の運転はよく分かります。このようにして翌日の授業に間に合い、卒論生の授業に対する真剣な態度は、「教官にスキーで勝った、野球で勝った、車の運転で勝った」と言っていた事や、大山の頂上から見える日本海の景色と共に忘れられない思い出です。その後も大山スキー場に何回か行きましたが2度と乗用車では行きませんでした。夜行列車で行って同じ民宿宿泊です。

 この時から30年の歳月が過ぎましたが、それぞれ社会で活躍している事と思います。教育研究と公私共に充実した38年を過ごさせていただいた愛媛大学と卒業生に感謝しています。


2008年4月21日登録