思い出など

思い出など


江沢康生

 私が着任したのは、有名な松山商業と三沢高校の決勝戦があった、昭和44 年でした。当時は宿直室があり、そこのテレビは予選のときから松山商業の試合のときは、多くの人が集まりました。秋になると愛媛大学にもいわゆる大学紛争が伝わってきました。事務局が、翌春には法文舘が占拠されたことはご記憶の方も多いと思います。私たちも学生と泊まり込んだり、教養部講義棟などの出入り口に待機したりして、警戒に当たりました。

 間もなく、紛争は終わり、文理改組後の教育・研究が軌道に乗るようになりました。授業では演習をいくつか担当していましたので、大抵の学生の顔と名前が一致し、よく付き合いました。中でも、昭和49年に3回生と新歓ソフトボール大会に参加し、出場98 チーム(メンバーの1 人が覚えていました) で準優勝したのが記憶に残っています。その後、昭和53年に教養部に移りましたが、理学部のときとは逆に講義ばかりで受講生も約50 人と多く対象の学科も大抵毎年変わりました。顔と名前が一致するのは高々7 割台といったところでした。

 その後、平成に入り、教養部の改組が近づく頃から、理学部の学生の卒論、修論の指導を非公式ながら担当し、改組に備えました。改組後は、もちろん公式に指導を担当しましたが、そのころの研究テーマは後述のようにすでに重力理論・宇宙物理に移っていてました。これらのテーマに興味を持つ学生は優秀で、修論にわずかに手を入れれば、journal 版になりました。

 研究は、紛争後、素粒子論研究者でグループを作りました。このグループは様々な変遷をたどりましたが、私は素粒子の統一理論との関連で、宇宙物理にも興味を持つようになりました。宇宙の主要な力はもちろん重力で一般相対論で記述されてきましたが、近年では、弦理論の影響もあり、その一般化に興味が持たれています。また時空も5 次元以上の場合が研究の対象になっています。そういうわけで、近頃は「多次元高階重力理論」の理論構造やその応用を研究テーマにしています。


2008年4月21日登録